ゲームばっかりな日記だったやつ

半分跡地みたいなもの。書くネタは無い。

奇声

ttp://news.nicovideo.jp/watch/nw159723
うちに寄生獣と七夕の国があるわー。やべーわー。
大戦略webで兵器に興味もったわー。やべーわー。
・・・ってことでおk?
残虐ゲームは、今は・・・無かったかな。別に興味無いし、買うことは無い。
ハッキリ言ってさ、小学2年くらいの頃、ドラゴンボール16巻くらいだったかな、当時歯医者にあったジャンプを貰ったら「マジュニアに隙を突かれて胸貫かれた悟空」だったが、あれですら割と衝撃があったのを覚えている。あれ見て「何でこんな漫画が流行ってるの?」と当時は思ったものだ。
ナッパあたりだったか、腕切られた天さんですら、当時としては結構トラウマものだった。それもこれも、今見ると結構普通なんだけど。
本当に、あの程度のものまで徹底して規制するつもりなら、規制規制言っても理解できないことも無いけどさ、それだって二重の罠があることは自覚しないといけない。

    • 表現を撲滅させれば良いというわけではなく、その表現が必要なものも実際には存在する。
      • その際は、存在自体を忌避するのでなく、年齢制限などで存在を認めなければならない。
    • そういったライトな残虐表現に触れる機会を奪われたら、急に覚悟も想像力もなく凄惨な場面に出くわした場合、耐えられずに狂乱して頭がおかしくなる人も結構いると思うよ。
      • いや、出食わしたら出食わしたで、精神も脳も対応するとは思うけど、それが他者を傷つけるのを厭わない方向で発現されると、結局同じように困るんじゃないの?

何でも無くせば良いというものでもない。
つい前読んだが、「三毛別羆事件」という、人間が何人も羆に食われたという事件の詳細だって、あんなもの覚悟の無い子供が読んだらトラウマになるだろう。しかし、それでもあの話が残ること自体は絶対に必要なことだろうと思う。
残虐それ自体は、そこかしこ現実に存在しているものなのだから、存在自体を否定するなんてのはお花畑でしかないのである。「クマー」じゃねえクマー。

閑話休題って使い方あってる?

GTA程度のゲームなら借りてやったり、動画で観たりするけど、あれは、少なくとも日本版なら残虐表現が大分マイルド(出血などにリアリティが無いし、人体欠損描写も殆ど見た覚えが無い)だし、残虐ゲーと言えるか微妙か。さりげない一部の表現に、ちょっとマズいのもあるけど(残虐だけでなく思想的・政治的に)。
GTAを残虐だと騒ぐのを見るたびに、個人的には小説、およびそれに類するアドベンチャーサウンドノベルの残虐表現のほうが、よっぽど人間の心理に与えるダメージが大きいと感じる。漫画なんて可愛いもんだとよく思う。残虐な表現をしたいから、という理由で、あえて作者が「文章」という方法を選んでるんじゃないかと感じることすらある。いや、モータルコンバットみたいなのは別だけどさ。
大分昔に、魔女たちの眠りを初めて見ていた時もそうだし、最近では小説のドグラ・マグラでも一部そういう表現はあった(死者の頭から脳を取り出すところとか、呉一郎が狂乱してるところとか)。絵じゃないだけで。むしろ、そっちで想像した絵のほうが気持ち悪いし、嫌悪を感じる表現が非常に多い。
絵にするかどうかっていう差も勿論あるけど、むしろ絵にして「銃刀を使ってるのに痛そうに見えない」類の「規制故に表現を緩和させた」もののほうが、深刻性を伴わないから危ないんじゃないの? いくら子供でも勘違いはしないと思うが、真似している内にエスカレートすることもあるだろうし。
殆どの人間には想像力ってものがあるんだから、痛いことなんだろうとか、そういう自覚をもったら普通はやらない。痛々しい表現を見て「自分もやりたい」と思い、実際にそれを真似してやるならば、「他人を傷つけたい」という素にもっている資質自体が問題なのであって、それは生育環境にこそ因があるだろう。
というか、今思ってたんですけど。

      • 人身事故の場面に出くわしたのがきっかけで、人体をノコギリ等でバラバラにすることに興味をもち(抵抗を抱かなくなり)ました。

もしこういう人がいたとして、これとどう違うの? 「事故」かどうかの違い以外、何も違いが無いと思うんだけど、「事故を目撃したのが原因での殺人なら、止めようがないし仕方ないんです、それも含めて事故」・・・ってことなの?
という、諸々のことを含めた上で。規制で世の中がどうなってほしいのか考える必要があると思う。「それを糾弾するのが正義だから」とか「理屈は分からんけどたぶん悪い」とか「データは全く無いけど間違いなく良くなる」とかいう愚かな理由で、独善的になってませんか。
なんか宗教みたい。