ゲームばっかりな日記だったやつ

半分跡地みたいなもの。書くネタは無い。

世にある考察を見て思ったこと

DQ11の話ですけど

これは作中でも明示されていると思うので確定事象だと思うが、要は光であるローシュがウラノスの闇を生み出したとかそういう言及を見たところから始まる。
この言及を見て、ふと思った。「ということは、ニズゼルファも何者かの負の感情が募って形作った闇・影なのだろうか」と。そして、その影を生む光も嘗てあったのだろう。何度も生まれ変わり、あるいは長期間に於いて極大化していたり、もはや原型を留めていないかもしれないが、起点はどこかにあったのだろう(とてもくだらない原因という可能性も否定できない)。

フォルムやデザインがアレなので、ひょっとしたら別の天体、あるいはそもそも別次元ということかもしれないが、元を辿れば知的精神体類が由来の負の感情が根源にあるのではないか。
似たような立ち位置であるゾーマについて考えても、恐らく基礎理念が同一、あるいはゲーム版(3)の開発時資料か何かを参考にしているのだろうが、某外伝作品の一部設定、例の没イラスト(ゾーマの第二形態)から見るに、明らかに根底には「思念体」というものが見える。
つまり知的生命体か、それに類する物や精神体による「思念」が無ければまず生まれないと考えられる。

ローシュとニズゼルファ、11主人公とウルノーガ、3主人公とゾーマ、等などといった「勇者の光と漆黒の影」は、数百数千、あるいは数万では足りないほどの回数繰り返されていても不思議はない。
とすれば。
ニズゼルファは「元々自分の世界に聖龍が上がり込んだ」そうであり、そうなれば「ニズゼルファが統べる世界があった」ということであるため、「光が敗れ、潰えた世界」というものも無数にあるのかもしれない、というかコレがその一つだったのかもしれない、と思い始めてしまった。

これを言ってしまうと、結局は「勇者はたまたま勝てただけで、運命や導きとは断定できない」みたいなところに陥ってしまい、
ともすれば「無限なんだからどうとでもなるよね」という考えに繋がりかねないので、新しい物語に対する価値観を根こそぎ損ねかねないのだが、まあ一つ可能性としてあるかもね、的なお話。

北斗の拳でも、時折ケンシロウがやけに脆弱な負けシーンが出てくるので、「あれはたまたまケンシロウが奇跡的に生存し、その度に反省し力をつけ成功しただけの、無数にある世界線の一つというだけなのでは?」と、大分前から結構本気で思ったりしている。
 「一つの物語のパラレルな可能性」と「無数にあると思われる過去の統計」とでは少し趣旨が違うが)

せっかくだから!他の話も

今回考察をいくつか読んで一番面白かったのは、ベロニカ・セーニャとカルベローナの話。本当にそうかどうかは抜きにしても、少なくとも公式が意識させようとして散りばめているのは想像に難くない。

他シリーズが誰の末裔かとか、パラレルワールドがどうとかいうのは、大筋ではそうだろうと思うものの、細かいところでは諸説ありそうだなあと思ってしまう。母と父どっちが末裔なのかとか、相手だれなの?とかいう点が特にそう。

カルベローナといえば、これは6の話だが、その中にあってもマスタードラゴンとバーバラの話は諸説考えられるにせよ面白いと改めて思った。
よく語られるので、以前から「卵からマスタードラゴンが産まれたのではないか」という説があるのは知っていたが、バーバラそのものがマスタードラゴンになった可能性についてはあまり考えたことがなかったので面白い(ちょっと可能性が細いのかもしれないが)。

開発時のネタを漁る度に「ああ、当初の構想からかけ離れた部分(変更で発生した齟齬のため無かったことにされ全放棄されてそうな要素)が結構ありそうだなあ」と感じては少し残念になったりするのだが、
まあその中にあっても「描写されなくなった」というだけで、笛で呼んだ龍はバーバラか、もしくはその変異の類なのだろう(その時だけパーティ外れる、龍になれる種族、等)という説は否定する要素のほうが遥かに少ないと思うし(堀井氏が、そういう話で開発している時期があった、みたいなことを言っていたようだし)、
ラストで夢の世界のゼニスの城にいる、どころか卵の孵化に立ち会っているのだから、マスタードラゴンとは(龍族として)絶対関わりが「無い訳がない」とは言える。

天空城マスタードラゴンの始まりの話として作られ始めたようだし、その準主人公格のキャラクター(しかも龍)として非常に重要に描かれているのであるから、どちらかの中心人物、誕生に欠かせない人物、あるいは同一の存在にしようと模索していたのだろうというのは想像に難くなく、
そこらへんをもう少し詳しく知りたい欲というものが10年以上ずっと強い。まあ、作者の頭の中ですら決まってないかもしれないが。