ゲームばっかりな日記だったやつ

半分跡地みたいなもの。書くネタは無い。

あまりに暇なので

前日の某氏引退劇の引き金と考えられる、あの法改正について色々読んで考えていたら、流れに流れて ttp://togetter.com/li/18895 こんなところに行き着いた。
エロゲなんて1〜2やった程度だし、昔友人が持ってて話題にしてたタイトルをいくつか知ってるとか、その程度の知識しか無いことを前もって書いておく。また、その既知のタイトルについても、フリーやら友人からの借用、それ以外は割れの類だったことも付け加えておく。そうじゃないと、後の話に繋がらないと思うので一応。
という念頭の元に。ただ、基本的に「ゲーム等、大量生産でコストを圧縮する」的なモデルの産業なら、何でも大体同じだとは思う。
エロゲ自体殆どやったことが無いので憶測でしか書けない部分ばかりなのだけど、例えば「それ、わざわざコンピュータソフトウェアという方式で開発して売る意味あるの?」という物をまず想定する。所謂、分岐の類が希薄なノベル等、シナリオを読ませることが目的のゲームが多いだろう。そういうのは、残念ながら「そりゃ死滅しないまでも、衰退はするよね、お気の毒だが」としか自分には言いようが無い。だって、小説に挿絵つけるのと原理的には大して変わらんから、本なら数百円で買える創作を、わざわざ工場でプレスする等の(各種技能者・開発人員の雇用確保という都合による部分が大きい)費用による数千円もの価格高騰など、正直言ってノベルゲーに興味がなければ「いらね、それなら本やウェブページ読むわ」の一言で終わりだから。
で、割れる側の人って多分、「金払ってまではやりたくない」けど「タダでできるからやる」っていうような人が大半なんだろう。そういう人にとって、「あるから落としてるだけ」であって、そうなるとやっぱりアップロード者こそが諸悪の根源であるとも思える。で、割れものプレイ者それ自体を否定・非難する人にとっては、それが自分勝手な行為で、経済・社会にとっての悪影響であり、人間社会にとって害悪で存在してはならないはずだというのも理解できるし、実際そのとおりなんだろう。ただしそれは、とりあえず実現性を肯定も否定もせず無視した上での「理想論」として。しかし、問題解決とその道徳心とは、残念ながら相関性を論じることは難しいのも事実だろうと思うし(無くなったらやらない、というだけの人が多いように)、実際に「道端に落ちていたら、バレなきゃ拾うよね」という人が多いという、原始的な部分において成り立っている以上、止めようがないと自分は思う。
これは何も、コンピュータソフトウェアに限らず、何でもそう。殺人事件や致死事故でもそう、物理法則がゆるぎない以上、誰にだって人を殺そうと思えば殺せるのであり、根絶しようというのが既に矛盾を孕んでいるという面もある(もちろん、減らすためには根絶を掲げるくらいの大きい目標が必要なので、矛盾していても良いとは思っている)。

話を進める

じゃあどうするの、という話なのだけど、他にも何個もの問題が複合的に絡んでいる複雑な問題なのだと考えている。それを一つ一つ解いていかなければ、解決は難しいとも。

    • エロゲなんて買えないよ、羞恥心的な意味で
    • 売っている場所へ行くこと自体困難、あるいはそもそも売っている場所が無い
    • 予算は大体決まっているので、その分他のものが売れなくなるだけ
    • 倫理的な観点での、一部間違った偏見や締め付けが強い
    • 需要に対して供給過多
    • 供給過多故に儲からず、同じ利率を見込めるものを乱発する悪循環(乱造によるブランド価値低下)
    • そもそも類似業界からこぼれ、ツブシ的に駆け込む開発も想定でき、ユーザー数に対して業界人の数が多いように感じられる
    • (ゲーム儲からないからパチンコパチスロ開発もはじめました、というのと似ている)

まだまだ幾つもあるとは思うが、大体思いつくのはこんな感じ。それぞれ別々の問題が、運悪く全て重なってしまっているようにも見える。ただ、これらの半分くらいは、やっぱり「金ない」という部分が大きいように思われる。
まあ、そうなると「経済でどうにかするしかないよね」という話になってしまうので、やっぱり大きい権力が、社会に対しどう力を行使するかだけの問題なのだろう。今回の法改正もその一つなのだろうけど。ただ一ついえることは、著作権保護やその法整備、プロテクト等が必要だろうし、現場レベルではその程度しかやることが無いというのは確かだけど、上記の理由より「同じくらい手厚い、経済など別の原因へのフォロー」を同時に行わないと、結局意味が無いということ。両方が係数として生きている複雑な問題なので、片方が0じゃ掛け算で0になって効果が無く(実際は0ほど酷くないが)、「○○の対策しても効果がありませんでしたー」と結論が歪んで導き出され、両陣入り乱れての情報戦の材料にされてしまう危険があるだけで、逆効果なんてことも少なくない。というか、それが繰り返されているのに、学習しないのだなぁとは思う(主に業界団体や法律屋が)。
ちなみに、残る問題としては、エロなど諸表現に対する敷居をどう考えていいのか、扱いきれていない社会の問題だろう。これは他にグロや犯罪描写など、反社会的描写全般に言えること(ポスタルやGTAみたいなのも同じだが、あっちは経済規模があまりに大きく既に手厚い)。それが例えば「恥ずかしくて買えない」という点になるし(見つかったら大変なので)、「一部間違った偏見や締め付け」など正にそのものソレだ。それに引っ張られる形で、「売っている場所が無い」という問題にも発展している。
これ、ちょうど今出てきた「暴力描写」がウリの一つであるゲームにも、ある程度繋がる部分があると思う。例えばGTAの日本版は、カプコンが権利を得て売っているゲームだ。「あの」カプコンだからこそ、団体など周りを色々動かせるという面は大きいように思う(中の人はいろいろ大変だろうが)。だから、例えば一時クソゲー界隈を騒がせてしまってはいたが、かつてPCゲーで隆盛を極めたシステムソフトの後継であるシステムソフトアルファーのように、(カプコンと比べてはいけないまでも)大きい企業がそれなりにエロゲ・非エロ化したコンシューマ移植をリリースして、それなりに売れている状況には興味を惹かれる。つまり、「規模が大きい企業が表立って許容できる下地」というものを模索するのが、実は最短距離なのではないかと思ったりもする。零細が下請けで開発できる環境が、今よりも多くなるかもしれないから。
まあ、今のソーシャルゲーと開発会社のように、縦割りの圧迫(ほど酷くないかもしれんが)みたいな買い手相場に成り兼ねんし、絶対的にうまくいくって問題でもないのだけど、このまま消えるくらいならそういう活動を地道に・・・って簡単な話でもないかな。まあ、人生・命がかかっているなら、そうやって色々やっていくしか無いとは思うのだけど。「できるできないじゃなくて、やるしか無いんじゃないの」的な、あまり好きな論法ではないのだけど、事実(大企業と連携とかに限らず)そういう大きい動きを地道にやるしか無いとは感じる。
それらが駄目なら・・・まあ、残念だけど「そこまで求められていなかった」ということで終結してしまうと思う。あるいは、ゲームが萎縮する中で突如現れたソーシャルゲームバブル経済のように、何か(発想的な)革新が行われないと厳しいだろう。ノベルだからブラウザでできる方向性、みたいなのを模索している人も、上記のページから更に先にあるまとめ記事(エロゲのネトゲ化は可能か、という話)にも見られたので、そういう様々な方向性を模索する様には興味を惹かれた。正直、成否は別として、実際にアイデアを作って形にできるという点では憧れるし、感心もする。(そういう感覚だから、たまに音ファイルやらプログラムやらエクセルシートやらアイデアを具現化するのだけど、中途半端なもの、あるいは自分にしか価値が無いものばかりなのが悲しい)