ゲームばっかりな日記だったやつ

半分跡地みたいなもの。書くネタは無い。

ちょっと欲しい

まあ某10の話なんですけど。
案の定「前作との売り上げ比較ガー」などというくだらない話が湧きあがったりしている訳だが、月額の料金で売上がいくらになるか計算してみましょう。最初から100万単位なんざ目指してもいないだろうし、売上と利益さえ上がれば本数なんかどうでも良いと思っているはずだ。いや、そもそもジャンルと販売モデルから考えて、40万オーバーとか怪物級に売れているとも言える。むしろ売るほうすら、ここまで売れるとは思って無かったとも思われる(サーバーキツキツみたいなので)。
こういった記事などを見ていると、足を引っ張る・もしくは注目を集めるための煽りという結果ありきの嘘論調を流布する人間、その流布された嘘情報(文脈やタイトルの歪曲含む)を真に受けるお子様(実年齢に限らず)、そしてそのように嘘大袈裟紛らわしい情報だと知っていてわざとそのまま拡散し更なるミスリードを狙う根性の腐った人間(冷やかし・工作員・同業他社・虐げられ過ぎて頭がおかしくなっちゃったニヒリスト)、などを見ていると、このままじゃこの国は本当にまずいなぁとつくづく感じる。今回の10に限らず、ゲームにも限らず、どこでも同じ。
インターネットはただの道具で現実とは何ら関係が無いだとか、現実と完全に隔離された空間だとか、現実ではできないことをやらせてもらえる夢の国(無法地帯)でなくてはならないとか、そんなこと言ってネットを突き放していると、いつか取り返しのつかないことになる気がしてならない今日この頃。突き放すのだって、「今、もっと重要な処理するべき問題は他にある(キリッ」と言って、結局何もやらせない(もしくは見当違いの対案しか出せず、否定されると逆切れする)ような人を見ていると、問題の先延ばしでしか無いのだよね。つまり、結果的に

    • 「最も重要な問題になるまで放置する」
      • =「こじれて手がつけられなくなるくらい悪化しないと吟味すらしてもらえない」

ということとほぼ同義なのだから。最も重要ではないかもしれないが、その最も重要というものも当然処理するべきだし、この最も重要でないが問題になっているものも、同時にどちらも処理しないといけない、どちらも考えないといけないんだよ。しかし、レトリックを悪用して「1か0」の問題にすり替えることにより、ちょっとでも楽な(何もせず先延ばしにするという)方法を取らせようとする風潮があまりに強い。
1か0で物事を切り分けられるのはそうだし、物事をしっかり見据えるには論理的に考えなければならないのは当然だ。しかしその論理式は、1変数・1桁のビットだけで表現しなければならない「とは限らない」。むしろそんな単純な問題は、問題になることは殆ど無い。ここらへんをわざとミスリードさせて、「1じゃないんでしょ?ほら0だろう」と嘘で誤魔化してしまう人間があまりに多いので、たまに少し気持ち悪く感じてしまう。2ケタ3ケタ並列で考えろよ、1じゃなくても10かもしれないし00かもしれないし110かもしれない、その上ANDの問題かORの問題かによってもまるで違う。こうなるからこそ、「俺理系じゃないし」のような言葉をマジックワードにして、「知らない自分も尊重されるべき」などというおかしな主張をする人間は嫌いなんだ。
取り返しがつかなくなってこの国がどうなろうとも、個人的には割とどうでも良いのだけれど(子孫も居ないし、死ぬまで生きる程度の気概しか無いので)、それじゃ困るという人は真面目に考えたほうが良いと常々思う。・・・のだが、生活における時間的リソースが足りないのか、「周りが放置している問題は自分も放置して良い、そうしないと他のことに手が回らないし、手をまわしていない人間に置いて行かれてしまう」とでも言いたげな、余裕も能力も無いのに分不相応な(できもしない)豊かな生活に憧れて、無理している所為で足元がお留守になっているようにしか見えない人が割と多いので(金銭に「直接」結び付く人間にしか目が行かないような人)、こりゃ痛い目みるまで何も・一切変わることが無いだろうなとは思う。下手したら、痛い目をみても、自分は悪くない、悪いのはあれとこれとそれだ、などと言い続けるのだろう。
しーらないっと。